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本当の家の建て方 −二世帯住宅−

 二世帯住宅という言葉は、何年か前(特にバブルの頃)に住宅業界を席巻したキーワードの一つですが、最近では定着したこともあり特別なものとして扱われなくなりました。しかし、かと言って一定の答えが出されたわけでもなく、今でも様々な難しい点をそのまま残した状態であるというのが現状です。

 バブルの頃に一気にその地位を確保した最大の理由は、やはり地価の高騰でしょう。バブルによって地価が高騰し、多くの地域で普通のサラリーマンが新たに土地を購入するのが極めて困難な状況となりました。そんな時の一つの方法として現れたのが親との同居でした。時代は、プライバシーを重視する傾向で進んでおり、できれば同居はしたくない。

 しかし、経済的理由がそれを許さなかったのです。もしも、両親が土地を持っていたら、既存住宅を取り壊して新たに家を建てることにすれば土地購入費が必要なくなります。また、土地がなかったために新たに購入する必要があった場合でも、両親と折半にすることになれば手の届く範囲が格段に広がります。ただし、いずれの場合でも当然ながら両親の住む場所も確保しなければなりません。そして、その答えとして採用されたのが二世帯住宅です。

 今は、バブルこそさすがに終わって、土地価格も落ち着いていますが経済情勢が不安定であり、停滞期でもあることから新たに始める大きな投資には勇気が必要です。そんな背景もあって、二世帯住宅は今後も一つの形として選択されるものです。

 しかし、経済的理由の土台にたった絆は脆いものです。また、そうではなくても世代の違いは想像以上に大きく、様々な問題や不幸を生み出してしまいました。前述の通り、今もって発展途上の二世帯住宅ですが、分かっている問題点を理解し、少しでもより良い形に近づける意味でも二世帯住宅について考えてみます。


・二世帯同居のメリット・デメリット

 同居のメリットとして様々なことが言われます。文化や伝統の継承など相当高尚なものから、高齢化社会への対応、親の面倒は誰かが見なければならないなど、どちらかと言えば精神論的な部分をあげる人もいます。

 しかし、現実論から言えば、やはり、金銭面、時間面など様々な意味でのコスト的メリットというのが最大なのではないでしょうか。金銭面で言えば、先にも書いた通り土地代や建物の建築費などを両親に助けてもらう変わりに、同居するというケースが最も多いのではないでしょうか。また、時間的コスト面で言えば、ローンの支払いの為と言うことも含めて、共働きという家庭も多くなっています。ところが、子供が生まれると誰かが子供の面倒をみる必要があり、一般的には保育所などに預けることになります。しかし、公立の施設は定員が一杯であることも多く、私立や、場合によっては未公認の施設を利用せざるを得ないことも少なくありません。しかし、こういう時に問題になるのがその費用です。特に、未公認であった場合などは相当な額になります。そうなると、せっかく奥さんがパートに出てもその給料の大部分をそちらに使うことになってしまい、結局何の為に働いているのか分からなくなってしまうということになりかねません。そんな時に、両親と同居していれば子供の面倒をみてもらえることになります。また、生活費の面で補助をしてもらえるというケースもあるかもしれません。

 しかし、これらの広い意味でのコストメリットは確かにありますが、ここには様々なデメリットの種を含んでいると言えます。

 やはり、最大のデメリットは世代の違いに起因するものではないでしょうか。そして、二世帯同居にまつわるほぼ全ての問題の根底にあるものと言っても過言ではないでしょう。ここで、この点についてもう少し具体的にみていきましょう。まずは、価値観、判断基準の違いがあげられます。

 例えば、育児など子供関係にまつわる考え方の相違です。例えば、今30代前後の世代を子供に持つ親世代たちは、自分の子供が受験戦争に関わっている世代になります。ですから、その反動もあってか、孫が小さいうちは勉強勉強ではなくおおらかにというような側面を持っているケースも少なくなりません。また、おやつなどの食べ物にしても親世代は自分たちが小さい頃に思うようにお菓子を食べられなかった思い出と自分たちの子供に対しても思うように与えられなかったことなどが重なって、ついつい甘くなりがちです。しかし、若い世代にとっては受け入れられないことがありますから、そこで食い違いが生まれてきます。

 また、経済観念にも相違が生まれやすくなります。貨幣価値の変化ということもありますが、何よりも大きいのは価値を見出す基準が違うということにあります。親世代にとっては、服や家財など手直しして使えるものは使うというケースが多いと思います。しかし、子供世代にとっては駄目になったときはもちろん、飽きれば新しいものを買うということに抵抗はないという方が多いと思います。逆に親世帯は旅行に行ったときなどは正に散財し、お金を使う為に使っている、無駄に使っているように感じるということもあります。こういったところも、子供世代は普段から必要と感じるものは購入し、お金も使っていくという考え方ですが、親世代では普段は質素にしていくかわりに、使うときにはパーッと使うということがあります。身近な所では、外食に出かけたときに、親世代といくと食べきれないほど一気に注文し、テーブルにあふれるほど料理を注文しないと満足しないということもあります。このように、生きてきた環境の違いで経済観念の相違も軋轢を生む土壌になっていきます。

 そして、もう一つ例をあげるなら、親戚付き合いや近所付き合いなどに対する考え方です。子供世帯にすれば、出きればわずらわしい近所付き合いなどしたくないし、年に一回会うかどうか分からず、会った時には気を使わなければならないだけのような親戚との付き合いなど考えたくもないという方が多いと思います。それよりも、仲の良い友人などとの付き合いを重視したいということになります。しかし、親世代は全く違って、滅多に会わなくても親戚は親戚で付き合っていく、近所も親密に付き合っていくという考え方の方が多いと思います。ここでも、親世代は親戚や近所との助け合いのなかで生活を送ってきたということが根底にあると思います。しかし、子供世代はプライバシーや個を意識した教育を受けてきているという土壌と、助け合いなどというような考え方や必要性はほとんど無いと感じている為、負担でしかないと感じることになります。

 このように、世代の違い、育ってきた時代の違いによって、価値基準、判断基準が異なる為に見解の相違が生まれ、軋轢を生む土壌となっていくことになります。

 考え方の相違を生む土壌は、世代や時代の違いだけでなく、様々なものがあります。一つには、文化の違いです。文化の違いというと、何か大げさに聞こえますが、どんな家にもそれぞれの家が持つ文化、家風があります。特に家柄があるとかないなどではなく、どこの家庭でも、何かしらの文化が存在します。

 例えば、皆さんは目玉焼きに塩をかけるでしょうか、お醤油でしょうか。そんなの個人の好みでどちらでも良いと思われるかもしれませんが、世の中ではこんなことでも喧嘩の種になります。こういった料理に関すること、掃除、洗濯等の家事全般、全てにそれぞれの家で出来上がったやり方というものがあります。目玉焼きのような料理の味付けから、掃除のやり方、洗濯の時間など、どれも本当に些細なことですが、積み重なっていくと大きな問題になっていってしまいます。

 また、こういったある種の生活習慣以外にも様々な「相違」があります。その一つに、無意識の甘えがあります。親世代も子世代もこの甘えということに対しては、文字通り「甘え」があるために、お互いに自分たちの都合のいいように解釈してさらなる甘えを生んでいきます。親世代は、親子なんだからお互い遠慮することはないと言って、平気で子世代のプライベートに入り込んでくるケースがあります。また、同時に自分たちのプライベート(子世代からすれば見たくもない)を曝け出します。基本的に家の中にプライバシーは無いという環境で育ってきた親世代にすれば、当然の理屈なのかもしれません。

しかし、個を意識し、プライバシーという考え方の元に教育され、育ってきた子世代にすれば簡単には受け入れられません。また、少々無作法で失礼な行いも親子なんだからそれぐらいいいだろうと勝手な判断基準の下に振舞うというのも子世代の不満の代表例です。確かに親子であることは事実なので不要な遠慮をする必要は無い、という点については多くのケースで子世代の同意も出てきます。しかし、その中で受け入れられる、受け入れられないの境界に大きな乖離がある点に問題が生まれます。親世代の親子というのは、本当に自分たち夫婦と子供だけの生活の延長線上にあります。しかし、子世代においては親子ではあるが、互いに独立の家庭を持つ別世帯であるというのが根底にあります。共通する部分、互いに干渉しない範囲では要らぬ遠慮は無用ではあるが、他の大部分は干渉するべからずということになります。

 しかし、この点について問題を抱えているのは何も親世代だけではありません。子世代は、このような考え方を根底に持っているにもかかわらず(別の見方をすれば、このような考え方が根底にあることも一因とも考えられるのですが)、自分たちの都合のいいことについては、親子という関係を最大限に利用して親世代に甘えるケースが多々ああります。親世代からの物質的な援助については、ほとんどのケースで拒むことなく受け入れる。しかし、それに対する返礼は大抵はその場の言葉だけで終わることになる。通常の社会生活でそのような援助を受けた場合に言葉だけで終わるでしょうか。それとは別に何らかの返礼を行うのではないでしょうか。そうしない理由は、親子なんだから貰っておけば良い、という都合の良い甘えが根底にあるからではないでしょうか。この他にも甘えの事例はたくさんがありますが、いずれのケースでもこのようなことが直接的に致命的な争いに発展することはほとんど無いのが普通です。これは、お互いどこかにそうは言いながらも一変の遠慮や後ろめたさがあるからではないでしょうか。しかし、甘く見てもいけないのがこの問題の難しい所でもあり、日々の積み重ねが知らず知らずの内に溜まっていき、別の問題が噴出した時に大きなエネルギー源になってしまう可能性があるのです。お互いに、一線を越えることなく付かず離れずの距離(昔から言われる味噌汁の冷めない距離というのは理にかなっているとも言えます)を保ちつつ、お互いの気持ちを汲んであげるのが上手くやっていくコツだと思います。また、上手く甘えてあげるのも親世代への気遣いでもあると言えるでしょう。


 いずれにしても、二世帯同居というのが頭で考えるほど簡単なものではなく、慎重に様々な面から考えて実行に移さないととんでもないしっぺ返しを食らうことにもなりかねません。一度二世帯同居を二世帯住宅で始めてしまったら、もう後戻りはできません。そして、追い詰められた挙句の離婚ということも世の中ではそれほど少ないケースではありません。それほどに深刻な問題をはらんだことであると言うことを十分に踏まえて考えていくようにしましょう。